IMAKATSU イマカツ

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K.IMAE TOP SECRET!

株式会社イマカツCEO
今江克隆公式ブログ

K.imae Today's Tips 35012024/04/03

『LASTMAN STANDING』

ブログ読者の皆さん、長らく更新できずご心配をおかけしました。

新しい世界に挑む新鮮な気持ちと向上心からか、例年以上に集中したハードでストイックな練習をこなし、やれることはすべてやり切って万全で迎えるはずだった2024年開幕戦。

結果はどうにもならない今の自分の無力さと、自分の置かれた現在地を、心底思い知らされる残酷な試合となった。
かつて今回ほど絶望感に苛まれたトーナメントはなかったと思う。

何も言えない、何も言いたくない、本心からこのままもう黙って全てスルーしてしまいたいと昨夜ギリギリまで思っていた。

 

今思えば戦う前にもう勝負はついていた。
どんな状況になっても気持ちだけは負けないつもりでここまで来たが、初めて気力だけではどうにもならない現実に直面した。

どんなに酷い腰痛でも、コルセットと痛み止めで苦しみながらも耐えてきた。
癌で臓器が無くなっても、立っていられる限りそれを乗り越えてきた。
体調管理には医者も驚く専門知識を持って、人一倍気を使ってきた。

だが、自力で立てなくなる日がいつか来るとは思っていたが、まさかこれほど突然に、今その時が来るとは思わなかった。
自分の気力、精神力の限界値と、自分の身体の限界値を完全に見誤ってしまった。

 

自分は昔からどんな相手の土俵でも互角以上に戦える、全局面で最強レベルの力を持つプロを目指してきた。
どんなルアーでも、どんなパターンでも、優勝と表彰台を獲得してきた。

ライブスコープと言うゲームチェンジャーを目の当たりにして、自分の中でトーナメントがまた新鮮なワクワク感に満ち始めていた。
当然のようにこの新たなジャンルでも負けたくない、最低でも互角に渡り合いたいと思う気持ちに火が付いていた。

 

オーバーハングの下に浮くロクマルの姿をモニターに捉えられるライブスコープ。
はるか沖の立ち木の中層に浮くプリのメスを捕らえ、20m先の3inchにも満たないワームをそこに的確に導けるライブスコープ。
それは最高に新鮮で、ワクワク感に満ち溢れた、今や日米ともに現代バスフィッシングスキルの最高峰だ。

同時にテレビゲームのよう、バス釣り本来の姿ではないと批判されるライブスコープ。

だが、常に動いているボート上で、肉眼と同レベルでモニター内に動き続けるバスとルアーを着水からバイトまで捕らえ続ける操作技術は、実は如何なる他のバスフィッシングスキルより基礎体力と体幹の強さ、そして根性が必要なのだ。
その負荷は今の自分にとって、過去2名ものカメラマンの背骨、尾骶骨を亀裂骨折させた荒れ狂う琵琶湖全域戦でのバスボート操船体力すら上回っていると思う。

 

常にcm単位でトランスデューサーを動かし続けなければならないライブサイトは、脚を常時エレキのフットペダルから離すことはできない。
サドルチェアーを付けていても、現実、腰を掛る事はほとんどなくなる。
特に春のリザーバーではスポットロックやローテーターに頼っているようではもはやライブサイトでは全く勝負にならない。
これは絶対のキモだ。

ライブスコープの流行以来、エレキのワイヤー切れが過去の何倍の頻度にもなるほど、エレキ操作の煩雑さ、ペダリングのシビアさが激変した。

40年以上踏み続けてきたエレクトリックモーター故に、この半年、違和感こそ感じていたが…。
まさかそれが今回の「致命的」と言える事態を招く結果になるとは思ってはいなかった。

 

ここから先がきょう公開されたルアーニュースクラブRでの、言いたくもなければ、書きたくもなかった今試合の実際に起きた出来事になる。
本編でも最初に書いているが、読んでも何の価値もない、言い訳以下の過去最低のクズ記事である。

今江克隆のルアーニュースクラブR「釣れない理由、釣れるプロと釣れないプロの差は?〜TOP50開幕戦・七色ダムレポート〜」の巻 第1188回

今の気持ちは、もうどうにもできない絶望感が自分の心の大半を占める。
あの毎晩深夜に経験したらトラウマになる激しい痛みに、これからどこまで耐えられるのか正直自信がない。
アナログスタイルに戻ればまだ延命できるでは…と言う自分の甘い考えは今試合の上位陣の尋常ではないハイスコアで粉々に打ち砕かれた。

では自分はもう絶望したのだろうか。

いや、真っ暗な絶望感が大半を占める心の隅に、まだ「本来なら若いヤツらと互角に戦えたはずだったのに…」と言う負け惜しみの残り火が微かだが燻り続けている。

その消えかけた炎にかけるハイオクガソリンを探すためにも、このクソみたいな負け惜しみブログの再開をもって前に進もうと思う。