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K.IMAE TOP SECRET!

株式会社イマカツCEO
今江克隆公式ブログ

K.imae Today's Tips 28052021/08/14

『思いで深き盾』

ワクチン2回接種が終わり、14日の抗体獲得日数も過ぎたので、ひさびさに両親のいる実家に帰省。

って大阪ですけど。

でも86歳と83歳の両親なんで、ワクチン接種完了までは正月に1時間以内で、離れて顔見に行った以来。

今回は全員接種完了でちょっとは安心かな。

で、久々に実家に帰ったんで、昔の自分の部屋をエグっていると懐かしい盾発見。

これ、自分的には一番恥ずかしい思い出の盾です。

今から33年前、24歳の時にJBTA(現JB)西日本1位を初獲得、

ウェイト2位は冷凍死魚事件の方に負けましたが、古い話なんでまあよしとしておきましょう。

恥ずかしくてめちゃ情けない気持ちになったのが「フルエントリー賞」表彰でした。

当時ワシはバスプロ目指して、釣りで喰っていくためになんとJBTA全国全戦38試合(36試合だったかも)全てに出場するという「試狂い」でした。

3月から11月までほぼ毎週どこかでトーナメント。

それを知った山下会長がフルエントリー賞なるものを作って、皆の前で表彰してくれたわけです。

しかし、表彰に呼び出されたその時、先輩方からは笑いと嘲笑が起きてました。

当時はまだ、バスプロとは「無職」「プータロー」の別称みたいなもんで、「男は仕事してから勝ってみろ」と言われたのは良い思い出です。

「仕事もせずに釣りばっかりやってりゃ誰でも勝てるわ」、みたいな目で見られてたわけです。

JBTAプロを称する先輩方が、真の「フルタイムプロ」をプロとは認めていない時代だったわけです。

当時のJBTAプロは基本、お金持ちで余裕のある方が多かったと思います。

んで、もって悔しいんで、再度上場企業に入社して2足の草鞋を17年履いて、それでなお勝ってみたわけです。

ごく普通のサラリーマン家庭に生まれても、元手がなくても、バスプロとして並み以上に喰える道を切り開いてきたと自負してます。

それが当時の自分を証明するための意地だったわけで。

この盾みるとその当時を思い出しましたわ。

実家の棚エグってたら、懐かしいもん見つけました。

商社の担当のお客さんそそのかして、商社そそのかしてルアー工場おったてて、自分でルアー削って色塗り教えて、「インスパイアーカスタムルアーズ」を始めた頃、自分で自作していたバルサ製のプロトモデル。

こいつが稀代の名作シャッド「スーパースレッジ」の母体となった「スレッジ」の手作りプロトです。

ほんま懐かしいですわ。

ま、いまもシコシコ自宅で夜な夜なやってる事はあんまり変わらんけどね。

いつも実家に帰ると、バスプロに憧れたあの頃の初心に戻れる気がします。