株式会社イマカツCEO
今江克隆公式ブログ
『実家倉庫エグリ旅』
今日は遅ればせながら実家に帰省。
っていっても、大阪なんで車で40分ですが、昔からなかなか帰らんもんで。
で、実家では超暇なんでインスタ見てたら、河野がわりと良い記事書いてたんでリンクしておきます。
https://ameblo.jp/kouno0306/entry-12835464262.html
なんか必死こいて毎日更新続けてるみたいだけど、ワシは毎日更新せーッとか一言たりとも言ってませんので。
いつまで続くか見ものです。
3日に1回くらいでも十分だと思うけどね、、、、それより三日に一回でもずっとコンスタントに続ける事こそが大切です。
10年続いたら褒めて差し上げます。
暇なんで実家の倉庫、それも今回は本棚エグって見たら、
オモロイもんいっぱい見つけましたわ。
これ、ワシのデビュー戦ですわ。
21歳、同志社大学3年生の夏だったかな。
初めて琵琶湖でJBTA(現JB)のトーナメントが開催された記念すべき日でした。
最初はオープントーナメントだったんで、誰でも出れたんだよね。
んで、上位何名かがプロになれると言う、プロテストも兼ねていたわけです。
この時ワシはプロショップ西田で借りたデッキの無いアルミの素ボートで出場し、今でいうビッグベイト、「バンゴB6inch」で準優勝してめでたくプロテストに合格、東レチームにスカウトされるわけです。
そしてその1か月後に開催された関西初のプロトーナメント琵琶湖戦で、菊さんが同じ「バンゴB6」で優勝してしまって、今日にいたる因縁が始まる訳ですわ笑笑。
この時インタビューしてくれたのが徳永謙三プロ。
当時田辺さんと並ぶ超有名プロでドキドキしましたが、「バンゴB6inch」で釣りましたって言っても何それ??マジって感じだったのを覚えてます。
当時、レベル的に格段に上だった関東では既に「スピニングフィネス」が一番カッコいいプロの釣りになってたからね。
その筆頭が田辺さんのフェニックス&カージナルでのファットギジット無双ってイメージでした。
それから間もなく東レソラロームチームの一員になる訳ですが、当時の東レチームは凄すぎるゴージャスメンバーでしたね…
ワシなんかマジ、ペーペーでした。
林さんも菊サンもおるし、沢村さんの八重歯がチャーミングで♡ 血吸われそうでしたわ。
ホンマ、この頃の東レはトーナメントに対する全ての取り組みが素晴らしかったですね。
そしてバブル経済に沸いた1980年代最後に始まったバストーナメントは、1990年代の全盛期「未曽有のバスバブル時代」に突入していくわけです。
またぼちぼちと、ネタ切れしたら”日本バス昔話でも紹介していきたいと思います。